とりあえず生存報告だけしておきます。私は無事です。
こんばんは。
昨日、2011年3月11日の14時46分に三陸沖でマグニチュード8.8の地震が発生。
日本国内観測史上最大の、マグニチュード8.8の大地震。
(はじめは7.9か7.8でしたが少しあとに8.4に、そして8.8へ訂正されました)
今回の地震は、地震よりも地震で起こる津波の方が与える被害が大きかったと感じる。
確かに地震自体はマグニチュードや、震度からもわかるとおり、大きい。
観測開始されてから最大のマグニチュード。新潟県中越地震と同じ震度7。
だが、日本という国は皆わかるとおり世界で類を見ない地震大国。
万全に用意された耐震基準があり、建っている家々は堅牢だ。
しかし、津波はそれを飲み込む。
みなさんがテレビなどで見る映像そのもの。
まぁこんなこといってますが私は津波とは全く関係のない地域に住んでます。
南三陸町にいたっては1万人と連絡がとれていない。
壊滅的、と言っていいほどの状況。
これは地震からの津波で起こったこと。
正直、私はこの地震で起こったことを全て理解できていない。
今日、特別紙面の朝刊・夕刊の新聞がきていて、みるとこの地震の記事。
津波で、街が、家が、人がいない。
そんなの信じられない。
私の脳内はキャパオーバー。
しかし、それが現実。
目の前の状況を信じるしかない。
だが私はその現場を見ても信じられる気がしない。怖い。
この地震でも、日本全国一丸となって乗り越えていくしかない。
こんなとんでもない地震があっても、乗り越えていけるんだということを後世でも自慢が出来るように。
最後になりますが、私の住む地域では地震直後、停電・断水しました。
私の母親・父親がもつauは直後からはデータ通信、通話ともにままならない状況だったようです。
私が持つSBMの電波は普通に使えてはいました(通話はわからない)。
その証拠に、直後から深夜、翌日早朝はtwitterに常駐していました。
しかし、地震発生から約一日の2月12日昼過ぎに起きたとき、全く電波を拾いませんでした。
丸一日がたち、その1時間後、外出しました。
街へでてあるスーパーへ行くと店の電気は付いていないものの、営業をしていました。
店内へ入ると、値段を全て紙へ記入し会計をするため買い物客に店員一人を同伴。
買うものをレジに持って行くと記入された商品を同じく紙へ記入。
それを見ながらもう一人の店員が電卓を打ち、料金を計算。
電気が与える利便性をしかと目で見た気がします。
その店をでて、近くのショッピングモールへいくと、自家発電があるのか電気が付いていました。
そこは物資は少ないものの、いつもどおりの店内を見ました。
あまりにも現実味がないですが、そのようなものです。
現在、断水・停電共に復旧し、水道電気の幸せを享受しております。
現在もガス・水道・電気の全てまたはどれかのライフラインが絶たれている地域でも、早急の復旧を祈っております。
私が出来ることといえば皆無といってもいいです。
祈り、願いということのみしかできません。
すみません。本当に。
それでは、こんな日記でしたが、私は生きてます。
じゃぁ!