うん
昨日は更新しなくてごめんね。
通夜終わった後家帰ってきたらすぐ寝ちゃったんだよ…
様子を箇条書きで書くと、
・人いっぱい(主に学生)
・でも式場はこじんまりしていた
・隣が校長だと今日初めて知った
・故人の母親のあの言葉は反則(いい意味で)、涙出てしまった
こんな感じ。
上から順に自分の感じたことをかくと、
・人いっぱい(主に学生)
→俺だと絶対こんなにこない。この20分の1がいいとこだろうな。と。
だからこそ彼の人間性が分かった。こいつはすごい、と。
・でも式場はこじんまりしていた
→特に書くことなし
・隣が校長だと今日初めて知った
→マジで。うん。寄りかかっちゃったりしたよ。おれどうしよう。殴られるかな。やばいやばい。
・故人の母親のあの言葉は反則(いい意味で)、涙出てしまった
→以前の葬式ではなかずに故人を送り出そう、そう思っていてもダメでした。もう号泣でした。
ですから、今回こそは、とそう意気込んでおりましたがダメでした。
「○○のことを一生忘れないでやってください」
これは泣いてしまう。
悲しみの泣きで故人を送ってしまうと、死んだ故人(重複表現かな)まで悲しくなってしまうと考えたから、今まで泣くまい、と考えたわけです。
以後もそう考えていく所存です。
つまりは、泣くと故人を明るく送ってあげられない。と考えたんです。
ちなみに、故人へ宛てた手紙を写真部の面々で書きましたが、
俺は文末に天国で撮った写真を見せてね!的なことを書いておきました。
これで俺が死んでもいい写真が見れるって訳。俺天才。
とまぁずらずらと書いたんですが…
故人への言葉!↓
本当に、早すぎる死だね。
出会ってまだ6ヶ月だったけど、本当にありがとう。
さよならなんていわないさ、俺の心の中でみんな生き続けるからね。
例えさよならを言うことになったとしても、
「またね!」を選びます。どうせまた会うんだから。
ただ、会うまでの期間が確定しないだけ。
それが「またね!」にはよく現れてるんだよ。
またね、は期間を表すには曖昧すぎる言葉。
でも、曖昧だからこそ、待つ楽しみってのもあるじゃん。
だから、俺と会うまでは、写真いっぱいとってなさいな。
ということで、またな〜!
という感じで書けばよかったなぁーと今になって後悔。
はぁ。
身内じゃないからこそ、今でも壮大な釣りであることを信じている俺が居ます。
そんなのノストラダムスの大予言を信じることくらい愚行ですけどね。
友人の骨までみて納骨しときながら信じられんとは何事だ、俺。
今日は葬儀だったのですが、通夜と変わらなかった(友人代表の言葉はいったくらい)ので、
残念ながら省かせてもらいます。
遺族の皆様、まことに申し訳ございません…
いや、この日記見てませんけどね。遺族の方々…。
と言うわけで失礼なこと書きまくってしまいました。
ほんとすみません。
じゃぁ!